この小さなアパートに住み始めて13年。「こんなうるさいところで、よく絵なんて描いてられるねぇ。」と呆れられるのだが、自分ではそれほど気にならない。通りの喧騒を聞いていると、「今日も世の中動いてる。うかうかしてられない、私も描かなきゃ、動かなきゃ。」そう感じる。
骨董品店が連なるマッジョ通りの一日は通勤ラッシュの騒音で始まる。その音は時間の経過とともに修復した家具を店に運び込む職人たちの掛け声となり、カフェで一服する若い修復家たちの笑い声となり、昼下がりには学校帰りの子供たちや母親たちの大きな声となり、そして時には古い建物を改装する工事の音も加わる。日が暮れ始めるとバイクで出かける恋人たちの気配となり、一日が終わるころには酔っぱらった学生たちの歌声となる。時間とともに、季節とともに 音は刻々と変わるが、その賑わいは夜更け過ぎまで耐えることがない。
マッジョ通りの音、毎日の音、生活の音、営みの音。
絵を描く時は独りっきりだ。絵とわたし、わたしと絵のみだ。
気がつくと、何日も人とまともな会話すらしていないことがある。
外の気配が感じられなければ、自分がどこにいるのかもわからなくなってくるほどだ。このくらい賑かなほうがいいのである。
しかし「人」をテーマに描いていてそれは如何なものかと反省し、友人と連れ立って久しぶりに世の中に出かけることもある。
そうして久しぶりに見る世の中の人々はなにやらとても美しい。
友人たちの会話に耳を傾けながらもついつい目を奪われる。彼らには悪いと思うが、どうしようもない。「何がこんなに美しく見えるんだろう?」気になってしょうがない。
彼女のまなざし、彼の輪郭、あの子の高揚した頬、鎖骨の上に落ちる影、気の置けない仲間同士だけが持つごく近い距離感、誰かを呼び止める手の姿、滑らかに動く唇、そこから時々覗く愛らしい歯、くつろいだ眉、ぬれたような黒髪が作る美しい曲線、意思的な鼻。
恋人同士だろうになにやら緊張した気配を感じるのは何故だろう、、、。何がそんなに気に入らなかったのだろう、神経質そうにひそめた眉の、形もまた美しい。
いったん出かけると、キャンバスに留めずにはいられない姿が、形が次から次へと目に入ってくる。
わたしは無抵抗に目を奪われ続ける。
何気ないしぐさにどうしようもなく物語を感じる。ドラマが匂う。
だからわたしはまた独りっきりになる。
独りっきりで、昨日見たあの美しい形の所以を考える。
目を奪われ続けた人々それぞれのドラマの行方を思いながら、、、。
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